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    【シニアの生活】=NO,15  人生はすべて出会いから (人は人との関係の中でしか生きられない)

    人生はすべて出会い

    生まれたから死ぬまで人には多くの出会いがあります。
    生まれ出たときの親との出会いに始まり、学校時代の出会い、仕事上での出会い、趣味の仲間との出会い、旅行先での出会い、買い物や娯楽や病院などでの出会い、近所の人との出会い、などなどさまざまです。また近年ではインターネット上での出会いもあります。出会いは人との出会いだけではありません。書物や音楽・絵画などとの出会いもあります。たまたま目にした新聞記事の一つだって出会いです。たった一つの小さな新聞記事で、自分の人生を方向転換することになることだってあるでしょう。

    一生のうちにはさまざまな多くの出会いを経験します。今日一日の中にも新たな出会いがあるかもしれません。そして私たちは出会いの中で自分を形作っていくことになります。よく「○○さんと出会わなかったら今の私は無かったでしょう」とか「この書物と出会って私の人生は変わった」「あの人と出会ったことでいろいろなことを教わった」などと話を聞きます。またいいことばかりでは無く、「悪い友達と出会ったために悪の道に入ってしまった」「あの人の話を信じすぎたばかりに株で大損してしまった」などの負の遺産を抱え込むことだってあるかもしれません。

    出会いは偶然性の高いものであります。偶然の出会いや出来事は(新しい活動を試みる機会)でもあります。現役を離れるとこの「偶然」も少なくなってくるでしょう。「偶然」を大切にして自分自身で新しく興味を育てて行くことが必要だと思います。「偶然」は受け身の形であります。でも受け身だけではありません。キャリア開発に関係されている方はご存じかと思いますが、「計画された偶然」という言葉があります。

    1999年J.D.クランボルツによって提唱されたキャリアカウンセリング理論「プランド・ハップンスタンス」(plan:計画)(happenstance:偶発)= 「計画された偶然性」というものです。
    それは、将来起きてほしい偶然の出来事を想い描き、それに合わせて行動を起こすことです。例えばやってみたい仕事があるとすれば、その仕事に関して(起きてほしい偶然)を意識して、そのような仲間のいるグループに入ったり、その仕事の関係者と交流ができるように計らってみたり、などの行動を起こしながら「偶然」が自分に舞い込んでくるように仕向けていくことです。特にいろいろな経験を積んできたシニア世代に多く見られる達観した気持ちを捨て、「行動」することから新しい世界が開けるのではないでしょうか。

    出会いによって人は大きく運命が変わることがあります。人間は自分一人でだけでは生きていけません。人は人との関係の中でしか生きるはできないのです。そして多くの人からさまざま影響を受けながら無意識のうちに自己形成を行っていきます。また逆に自分も無意識のうちに人に影響を与えております。普段あまりこのようなことは考えませんが、(自分は人にどのような影響を与えているのだろう?)と時には考えてみることも必要では無いでしょうか。

    他人に与える己の影響を考え感じてみると、そのことが又自分に帰ってきて、自分をよりよい方向へ導いて行くような気がします。どんな小さなことであれ、人は他人に対して何らかの影響を与えます。たとえ高齢者になってからでも、そのことを意識して生きることが生きがいにも通じることのように思います。

    【シニアの生活】=NO,14  テレビで自分の脳が毒されないように

    テレビで自分の脳が毒されないように


    多くの人が毎日1回はテレビを見ていると思います。情報媒体としては、近年ではインターネットが強い力を持つようになりましたが、まだテレビの力には及ばないのではないでしょうか。テレビは強烈です。それはスイッチを入れると直ちに映像が目に飛び込んでくるからです。インターネットは電源を入れて自分で何らかの操作をしなければなりませんが、そこのところがテレビとは大きく違います。

    テレビはチャンネルの選択をする以外は、こちら側の労力を要求しません。世界中の現代人はテレビの出現で大きく生活の仕方が変化したと思います。中にはそれなりの考え方があって、テレビは一切見ない、家にもテレビは置かないという人もおりますが、大半の人が、大なり小なり何らかの形でテレビが生活の一部になっているのではないでしょうか。

    テレビは新聞などと比べてニュース性の高い情報を提供すると共に、非常に娯楽性の高いメディアでもあります。私たちは労せずして番組を楽しむことが出来るので、なかなかテレビから離れることができません。
    最近ではテレビで放映される内容も、昔に比べて薄っぺらなものになってきたとよく言われます。中には大変見応えのある番組もありますが、(今風に言えば)全体的に軽いノリで見ることができる番組が増えてきているようです。

    お金をかけて制作したきちんとしたまとまりのある番組よりも、お金のかからない(例えばタレントと一緒に人気食堂に行く番組や、お笑い番組など)の方が視聴率が取れるようなので、どんどんそういった軽いモノに流れて行っているようです。パソコン・スマホと情報媒体が多様になってきたので、昔のように何でもテレビに対して情報を求める必要が無く、テレビに対する人々の欲求が変わってきているように思います。

    お笑いや食べ歩きなどの番組は、自分も軽い気持ちでその中に入って行くことができるので、テレビを通して自分も共有しているような錯覚に陥っているように思われます。(見ている中に適度な好奇心をくすぐられ、なかなかテレビから離れられなくなってくる。そしてその番組が終わると、何だか空虚な気持ちが心を占めるようになる。)このような経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。

    このようなことが長く続くと徐々に思考する力が失せてしまい、人間がもぬけの殻のようになるのではないかと気になります。そしてテレビという情報に自分の脳が毒されてしまうのではないか、と怖くなります。特に高齢者になるとたっぷりと時間があるでしょうから、さらにテレビに依存した生活になってくると思います。これは精神にも肉体にも悪影響を及ぼすことになるでしょうから、テレビという存在に対して、普段から理性的に意識して対処する気持ちが大切ではないかと思います。

    精神的にも怠惰な生活を続けていると、どんどん老化が進み生存している感覚が乏しくなり、老化が早く進むのではないでしょうか。

    【シニアの生活】=NO,13  自分はこれから何をやりたいのだろう?

    自分は何をやりたいのだろうか?

    「自分はこれから何をやりたいのだろう?」と自問したとき、ハッキリ答えの出る人はきわめて少ないように思います。これはシニア層だけに限ったことではありません。特にこらからはじめて仕事に就く新卒者にとっては、なおさら自分の進み道の答えが出しにくいのではないでしょうか。

    本来人間は多種多様な好奇心を持っておりますので、自分のやりたいことを限定することは非常に難しいことではないかと思います。やってみなければ分からない、と言ったところが多分にあります。かといって一度仕事に就いてしまうと、そうそう他の仕事の経験をしてみることはできません。また、自分に最も向いた仕事を探そうとしても、長年その仕事をやってはじめて分かることであり、始める前から向いているかどうかなどは分かりようがありません。

    世の中のもろもろの仕事を見聞きして、あれをやってみたい、これをやってみたい、などと思うことも多々あることでしょう。長年の経験の中から自分が定年後にやりたいことが固まってきたとしても、果たしてそれが自分の能力に見合うものか、その仕事に対する社会の受け入れ体制はどうか、将来性はどうか、などと考えなかなか踏ん切りがつかない、と言ったこともあるでしょう。

    まだやりたいことの何らかの目安でもあればよいのですが、多く人はその目安すら見付からないのが大半ではないでしょうか。と言うわけで、定年後も今の仕事のつながりの中で仕事を見つけると言うことが多いでしょう。

    このことが良くないと言っているのではありません。むしろこれで納得がいくのであれば逆に理想的な形だと思います。納得まではいかなくても、自分と折り合いをつけることが出来るものであるならば、それはそれでも結構でしょう。

    人は一生のうちで多くのことは出来ませんが、誰しも多くの可能性は秘めております。
    折角の一生ですから、人生をなるべく悔いの無いように生きるためには多少の冒険も必要ではないでしょうか。ではやりたいことが見付からない、と漠然と考えるのではなく具体的に考えることが必要と思います。その時このような手順で進めてみたらどうでしょうか。

    まず、次のようにものはすべて排除するところからはじめる。
      ・自分の能力的に絶対不可能なもの
      ・現在の自分の状況下では無理がありもの
      ・嫌いなもの
      ・なんとなく興味がわかないと思うもの

    これらをすべて排除し、残りのもののすべてを対象として、出来るか出来ないかにはあまりこだわらずに、直感的に感じるもの(こと)にターゲットを絞る。始めるにしてもあまりに小さなもの(こと)より、自分にとってある程度大きなもの(こと)が良いのではないかと思います。大きなもの(こと)はそれなりの努力を必要としますが、それに呼応して充足感が得られることでもあります。一生のことですから今一度踏ん張ってみるも必要ではないでしょうか。

    【シニアの生活】=NO,12  もう歳だから

    20130321-もう歳だから

    「もう歳だから」よく聞く言葉ですね。定年前後の人から聞くことが多いと思いますが、時には50歳くらいの人がこのフレーズを発していることがあります。元気バリバリの人からこの言葉を聞くと、なんだか違和感を感じます。冗談で言っているのならともかくも、本気で言っている人もおられます。

    「もう歳だから」と言うその気持ちはさまざまでしょう。
    (今さら無理はしたくない、この年で恥ずかしい、もう自分が出る幕ではない、この年ではもう難しい、気力が出てこない、責任あることは避けたい、人から何かを頼まれるのを避けたい、苦労したくない)等々と、その心理の裏には「もう自分の人生は終わりに近づいたのだから」との気持ちが働いているように思います。

    ところが、またその裏には「楽して生きたい」と言う心理が張り付いているように思います。楽して生きたいと言う気持ちは人間の自然な気持ちですからこのことをどうのこうとの言うわけではありません。

    人は5,60年も生きてくると、一種の疲れが出てくるのではないかと思います。これが「もう歳だから」と言わせるのではないでしょうか。そのまま楽して生きて行ければ良いのですが、そんな甘いものではないでしょう。身体のことも含めて生きているかがり、一生苦楽は繰り返されます。

    ぐっと高齢になれば「もう歳だから」と言う言葉も自然な形で受け入れられると思いますが、この長寿社会において5,60歳からこんなことを言っていたら本人が悲哀を見るような気がします。自分に降りかかってきたものを避けることなく、そして自分の可能性を信じ、毎日毎日を大切に少しずつ進んでいくことしかないのではないでしょうか。逆に、「もう歳だから」=「やっとその歳に到達したから」と読み直して、自分が出来ることを考えた方が早道のような気がします。

    【シニアの生活】=NO,11  定年後の自分が見えない

    定年後の自分が見えない

    定年が後数年と近づいてくると、(何の仕事をしようか? 年金でどんな生活ができるのだろう? 果たして仕事はあるのだろうか? 人とのつきあいはどうなるのだろう? 自分は何歳くらいまで生きるのだろう? 病気はしないだろうか? 生活のレベルはどう変わるのだろう? 有意義な人生を送ることができるだろうか?)などなど、ふと頭をよぎることになるでしょう。

    しかし、そのことをじっくり考えてみても、なかなか自分の形が見えてきません。仮に定年後の仕事が決まっていたとしても、定年になると自分を取り巻く世界が一変するわけですから、自分の姿を感じ取れるまでにはならない人が多いと思います。

    人間は未来を生きることはできません。未来は想像することだけしかできないので、自分を実感として的確に捉えることはできないのです。今を生きるしかないのです。やはり今を真剣に生きることを考えることが一番なのでしょう。とは言え、定年後の生活も現実のものとして迫ってくるわけですが、やはり将来のことを考えざるを得ません。

    定年後を準備する意味おいて、定年後にやってみようかと思うことを、形式にとらわれずに何でもかんでも逐一メモに書き留めていってはどうでしょうか。そして折にふれメモしたことを見ながら、あれこれと思考を巡らします。このようなことを繰り返し行っていくことで、少しずつ将来の自分を捉えていくことができるようになるのではないでしょうか。
    そして可能であれば、今の段階で思いついたことに対して弊害が生じない程度に、手を出して探ってみます。

    少しでも具体性を持つことができるように自分に働きかけていくことで、将来の自分を現実の問題として感じとることができるように思います。

    【シニアの生活】=NO,10  何ごとも取り組み始めるときが一番労力を使う

    エメットの法則


    『仕事を先延ばしにすることは、片付けることよりも倍の時間とエネルギーを要する』ご存じの方もおられるでしょうが、リタ・エメットの提唱した「エメットの法則」と呼ばれるものです。

    例えば、何らかのイベントが終わりその報告書を書かなければならないとき、報告期限は1週間以内だからとすぐには書かずに先送りしてしまう。ぎりぎり前日になってやっと書き始めたけど、記憶が薄れておりあれこれと最初から思い出さなければならず倍の時間がかかってしまった。また精神的にも余計な苦痛を味わうことになった。これに似たような経験は誰にでもあるのでは無いでしょうか。

    『このように先送りした仕事の多くは、結果的により多くの時間と精神的な負担を伴うこととなる。今すべき仕事を先送りしてしまうと、その仕事の解決に倍の手間がかかるようになり時間に追われ始める。このようなことが日常化すると(常に時間が足りない)という負の連鎖に陥ることになる。』このようにリタ・エメットは言っているのです。

    何ごとも取り組み始めるときが一番大きなエネルギーを要するわけですが、早い内に動き出せば以外とスムーズに事が運ぶ場合が多いと言えるのではないでしょうか。

    事を始める際には、いつもこのことを念頭に置いて始めると「今が一番エネルギーを必要としているのだ!」との思いから、比較的抵抗が少なくなるように感じます。自分自身にそのように暗示をかけ納得させることです。理想的には行きませんが、私もそのように思うよう常々心がけているところです。
    このことは、毎日毎日の小さな事柄にも当てはまるように思います。


    【シニアの生活】=NO,9  過去に引きずられない

    書棚

    巷の話でよく 「現役中はあんなにバリバリだった人が、定年退職した後はもぬけの殻のようになった」 とか、「べったりと奥さんにくっついて(濡れ落ち葉)になった」 などと言う話を聞くことがあります。そのような話を聞くと、どうしようもなく侘びしさを感じざるを得ません。

    定年を迎え現役時代の仕事や仕事の仲間達から離れると、空虚な気持ちを味わうことも多いでしょう。また過去の生き方・仕事の仕方に対して、ああすれば良かったこうすれば良かったなどと、多くの人が述懐の気持ちを持っているのではないでしょうか。

    現役中は、皆生活がかかっておりますのでその現実生活のインパクトが強く、現役を離れた上でもなかなかそのインパクトから離れられないのではないでしょうか。
    そのため定年後に新しく何かを始めようとしても、過去のインパクトが胸一杯に充満しており、いつも過去に目が行ってしまう。そうして過去の自分を基準に過去に引きずられながら生きて行くことになってしまうと思うのです。

    現代は人生80年~90年の時代です。通俗な話とは言え、定年後をどう生きるかは人間にとって重大なる問題であります。過去に引きずられながら生きていくことは、いかに現役中に成功を収めたといえども、一生にとっては失敗の人生と言うことになるのではないでしょうか。

    第2の人生を全うするには過去との決別が必要だと思います。もちろん現役時代の仕事のつながりで第2の人生を歩むことも大いに結構でしょう。現役時代の豊富な経験を、第2の人生に生かすことで一生を充実させていくことができれば、それにこしたことはないでしょう。でも現役を離れたとき、自分を取り巻く世界は一変するわけですから、同じ仕事であれまったく新しい気持ちと覚悟で生きていくことが肝心かと思います。

    過去に引きずられないようにする一つの方法として、まず自分の原点に返り「己は何者ぞ!」と自己に問いかけ、深く自分を見つめることから始めることで、何かが見えてくるのではないでしょうか。そして本来の自分の性分に沿った生き方を追求することが、きびしくとも意味ある人生を送ることができるのではないかと思います。

    定年後は特段何をするというのでもなくのんびりと暮らしたいと思う人も多いでしょう。のんびり生活すると言うことは、それとともに喜怒哀楽も少なくなると言うことでしょう。喜怒哀楽は人が生きている証でもあります。定年後の(20年~30年)をそのようにして生きることで充足感を感じられるのであれば、それはそれで結構でしょう。しかしそのような生き方の場合でも、過去の自分をのりこえて真の自分を見つめ生きることの意味を考えながら、のんびり生きていくことでそれなりに有意義な人生と言えるのではないでしょうか。

    【シニアの生活】=NO,8  定年後の過ごし方

    ピアノ挿絵

    〔自分を確かめながら生きていく〕

    過去に転職した人も含め、一般的に60歳から65歳くらいで定年を迎える人が多いでしょう。定年を迎えると言うことは、これまで生業として仕事をしてきたものから離れることであり、大きな人生の変革期を迎えたことになります。

    ①定年後も何らかの仕事をしなければ経済的に困難な人もいれば、②年金や貯蓄などで働かなくても食いつないで行ける人、③豊富な老後資金で悠々自適の老後を送ることが出来る人、人さまざまでしょう。 



    定年後の経済的条件にもとづく生活の形として、上記のように3つに区分けしてみましたが、そのうち前回は ②年金や貯蓄などで働かなくても食いつないで行ける人【シニアの生き方】=NO,6 定年後の過ごし方、について書きました。今回は「③豊富な老後資金で悠々自適の老後を送ることが出来る人」の生活の仕方について書いてみたいと思います。

    経済的に悠々自適の生活の送ることができる人とは、持ち家は当然のこと、年金以外に潤沢な金融資産を所持している、あるいは年金以外に毎月相当なお金が懐に入るような人々を対象として考えてみたいと思います。

    一般的な生活の仕方として、旅行をしたり、観劇をしたり、高級ホテルでお酒を飲んだり、高級クラブの会員になったり、などなどと考えることができるでしょう。しかしいかに贅沢な暮らしをしていても、日が経つにつれ ただそれだけでは味気ないモノになっていきます。そこには生きているという充実感を味わうことはできないでしょう。幸福感に浸るのも一時のモノでしょう。

    味気ない生活を続けていると、徐々に生気をなくし老化が早まっていきます。生気をもって生きるには、やはり自分の好きな仕事をすることが一番だと思います。仕事にはどんな仕事であれ責任が生じます。その責任感が心に張りを持たせます。また自分では意識しないまでも、何らかの形で世の中の役に立っているものです。そのことがまた無意識のうちに心に張りを待たせます。
    一生懸命に取り組むことが出来るのであれば、仕事でなくても趣味でも勉強でもボランティアでも結構でしょう。人は誰しも大なる可能性を秘めております。(私などがとか、年甲斐もなくとか)ネガティブに考えることがその可能性に封印をしてしまうのです。

    潤沢な資産を持つまでには、過去並々ならぬ努力をして築き上げた人もいるでしょうし、またお金だけ出世だけが目的で、自分の本性までをも曲げて生きてきた人もいることでしょう。また産まれたときから潤沢すぎるほどの資産を所持している人もいることでしょう。
    人間が一生のうちでやることのできることは限られております。過去の自分を振り返り、やり残したこと、述懐せざるを得ないようなことも、また誰にでもあることでしょう。余裕のできた今、過去を取り戻すことのできる何かを探してみたらどうでしょうか。

    長寿社会の今、私は「人生二度説」を推奨すべきではないかと考えております。一つのことに10年間一生懸命に取り組めば何モノかにはなるのではないでしょうか。その道のプロになることもできるかもしれません。

    現役時代の仕事とはかけ離れたモノであっても一生懸命に取り組むことができるモノであれば、何でもよいと思います。(絵を描く、俳句・短歌をやる、小説を書く、散策をする、釣りをする、ゴルフをする、楽器をやる、老人クラブでお酒を飲む、カラオケをやる)趣味としてやる分だけで十分に人生の充実感を味わっていける人は、それはそれで結構でしょう。でも趣味の世界もそれが高じるまで行かないと、人生の充実感は持てないような気が私にはします。

    経済的に豊かであることは、一義的には幸せのもとであることに変わりはありません。できることなら、形の上で優雅な生活を送ることが出来るのであれば、それに相応して心の中も優雅な生活を送ってこそ人生を謳歌することができるのではないでしょうか。人の幸不幸は主観の問題です。終局において(これで良かったのだ)と思えるような生活を送るためには、真実の自分を探り当て、確かめながら新しい自分を生きていくことではないでしょうか。



    【シニアの生活】 NO,7  =定年! その苦しみと生きがいと=

    挿し絵(定年)


    ◎ 定年を迎えると

    60歳にしろ65歳にしろ定年を迎えると言うことは、人生の大きな一区切りであることには違いはありません。そして気持ちの上でも大いに変化を来たすことでしょう。

    定年後に新しい仕事を始めるにしろ、のんびりと悠々自適に暮らすにしろ(これまでのように頑張らなくてもいいのだ!)と言った気持ちが、定年と同時に徐々に芽生えてくると思います。そして(もう苦労することもないのだ!)などと考える人もいるのではないでしょうか。

    しかし、ここで気をつけなければならないのは、現役中の「頑張り」の気持ちが失せると共に、無意識のうちに次第に労苦を避けるようになり、そのうち気力まで萎えてしまうことです。こうなったら大変です。気力が萎えるとボケも早まり、体まで弱ってくる。そうなると己が辛い思いをするだけではなく、周りにとっても厄介者を抱えることになるでしょう。

    (これから先、後20年生きる? いや30年生きるかもしれない?)
    人生の終局で苦しい思いをするのでは、これまで頑張ってきたことが水泡に帰してしまいます。(私は長い間何ために頑張ってきたのだろう?)と悔やまれることになるでしょう。定年とともに自分の道を見失ってしまうことになります。
    定年後は自分をコントロールすることが何より大切だと思います。


    ◎ 仕事は生きがい

    よく「仕事が生きがい」などと言う人がいます。しかし、そう言う人たちのすべての人が、真に「仕事が生きがい」となっているのでしょうか? いや、「仕事が生きがい」と自分自身に思い込ませていることはないでしょうか?

    定年を迎えて、今まで長い間働いてきた仕事が「真に生きがい」と感じてこられた人は幸せでしょう。仕事で自分を燃焼させてこられたのですから・・・
    反対に定年までの仕事が真に生きがいとは思えなかった人は、おそらく不完全燃焼のまま定年を迎えることになるのでしょう。
    おそらく、不完全燃焼のまま定年を迎える人の方が多いのではないでしょうか。

    (しかし)です。不完全燃焼の人ほど、定年後の人生を思う存分に生かせるのではないでしょうか? 人は誰しも不完全燃焼のままで一生を終わりたくはないでしょう。 残りの一生で過去を取り戻したい! などと、意識しないまでも心の奥で思ってはいないでしょうか? もしそうであれば、これこそチャンスです。

    定年になって失敗はしたくない! かといって勇気を出さなければ先へは進めない! 何事も取り組みはじめは大変ですが、定年後は心機一転、真っ新の気持ちで小さいことから少しずつ積み上げていくことが肝心のように思います。そして意志力は、年齢に関係なく何時でもあらたに培うことの出来るものだと思います。



    ◎ 仕事と年齢

    (定年後はのんびりと暮らしたい)と言う方がおられます。はたしてのんびりと暮せるものでしょうか? 定年まで長い間仕事をしてきて、数ヶ月はのんびりとした気分で好きなことを楽しくやることもいいでしょうが、それもだんだんと味気なさを感じてくるのではないでしょうか?

    仕事をすると言うことは、どんな仕事であっても何らかの責任を持ち、大なり小なり他人とのかかわりを持つことになります。このことが気持ちに張りを持たせることになり、体もそれにつれて活性化するように思います。

    定年後にあまりにストレスの多い仕事は良くないでしょうが、多少のストレスは適度な緊張感を生み、心身に良い影響を及ぼすように思います。何よりも「仕事を続ける」と言うこと自体が一番の老化防止になるように思います。

    趣味の世界だけに生きることも、勿論すばらしいことだと思いますが、よほど没頭できる趣味でない限り、仕事をするより難しい生き方のように私には思われます。



    ◎ 老化

    よく歳を取ってくると(私はもう歳だから・・・)と云って、重いものを持ったり、難しいことを考えたりすることを避けようする人がいます。 確かに年寄りの冷や水はあぶないので避けた方がいいと思うのですが、会社のOB会や同窓会で、定年後のそれもさしたる年令でもない人からそのような言葉を聴くことがあります。

    これは長い間生きてきた疲れを自ずと癒したい、と言う気持ちの表れだろうと思います。しかし、この気持ちのまま定年後の生活を始めるとだんだんと己を甘えかし怠惰な方向へと向かって行くことになるのは必定でしょう。まぎれもなく、これは自ら老化を早めることになるのではないでしょうか。

    長い間働きづくめで働いてきて、もうこれからはゆっくり暮らそうと思う気持ちはよく分かりますが、そんなに甘いものではないでしょう。 はたして定年後にゆっくりのんびり楽しく暮らしている人がどれほどいるでしょうか?
    仕事の悩みを抱えながらも、忙しく働いていた頃がずっと楽しかったと思うことも、多いのではないでしょうか。

    年齢を経ると自分の気持ちをコントロールすることにより、生きる楽しさを味わうことも出来るでしょう。しかし老化が進むと言うことは、死が近づいてくることであり苦しさが増して行くことではないか思われます。私は今のところまだそこまでは感得することは出来ませんが、「生」と言うものについての新たな苦しみ(死の恐怖)を抱えることではないか?と・・・

    「生きる」と言うことは、結局は自分との戦いです。このことと正面から向き合って(人は死ぬまで「苦」から解き放たれることはない!)と、覚悟を決めて生きることも又一考ではないかと考えます。

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    ジャンル : ライフ

    【シニアの生活】=NO,6   定年後の過ごし方

    新聞イラスト


    〔小さな達成感を持って生きる。〕

    過去に転職した人も含め、一般的に60歳から65歳くらいで定年を迎える人が多いでしょう。定年を迎えると言うことは、これまで生業として仕事をしてきたものから離れることであり、大きな人生の変革期を迎えたことになります。

    ①定年後も何らかの仕事をしなければ経済的に困難な人もいれば、②年金や貯蓄などで働かなくても食いつないで行ける人、③豊富な老後資金で悠々自適の老後を送ることが出来る人、人さまざまでしょう。 



    ここでは ②仕事をしなくても経済的には何とか生活して行ける人の、定年後の生活の仕方について少し考えてみたいと思います。

    長い間仕事をしてきたので、定年後は仕事から離れて毎日のんびり楽しく暮らして行こうと、最初のうちはそう考えている人も多いでしょう。でも3、4か月も経つと身を持て余してしまい、何ともやり場のない寂寥感にとらわれてきます。特に一生懸命に仕事に打ち込んできた人ほど、寂寞とした気持ちにとらわれる強いものがあるでしょう。

    人間は感情の動物です。仕事は楽しいこともありますが、毎日そんなに楽しいものではありません。厭な日々が続くこともあるでしょう。でも、人は皆何とかそれに打ち勝とう打ち勝とうと、無意識のうちに葛藤を続けながら生きております。そこには、ささやかながらも何らかの達成感を味わいながら生きるものです。逆に不達成感に悩まされながら生きることもあるでしょうが、そのような場合でも遠い先には達成感に希望を繋ぎながら生きています。そこには寂寥感というものはありません。

    また仕事をすると言うことは、かならずや何らかの形で人とのかかわりを持つこととなります。人に自分を投影することで自己の存在を確かめながら生きております。人は人とのかかわりの中でしか生きることは出来ません。

    と言うわけで前段が長くなりましたが、余程のめり込むような趣味でもない限り、定年後どんな細やかなものであっても何らかの仕事をつづけた方が良いのではないでしょうか。仕事にはどんな些細なものでも責任が生じます。責任感は人にハリを持たせます。

    又よく定年後は第2の人生と言われますが、そんなに立派なものを期待してはいけません。大きなことを考えるのではなく、目の前にあることに対して毎日少しの達成感を持つことが出来るように生きるのです。それが積もり積もって大きく何事かを達成することが出来るかもしれません。

    (あせらず、身近なところから何かを始める。)

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