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    【シニアの生活】=NO,26 「死」について

    地獄門

    仏教の世界に「四苦」という言葉があります。「生、老、病、死」の苦しみのことです。生きている時の苦しみ(煩悩)、老化の苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみ、のことを言います。誰でも平等に歳はとります。自分もシニア世代と言われる年齢になると、ある時「老化」という新たな苦しみを味わうことになるのでしょう。「老い」が始まると、まず体力の衰えが感じられるようになる。足腰が弱くなり目や耳が悪くなり、記憶力も薄れてくる。これまで全く抵抗なしに出来ていたようなことが出来なくなる。そして自分が退化していくことに対して、苦しみを感じるようになると。その後には「死」の苦しみがやってくる。

    今この世に生きている老若男女も100年も経てばこの世から姿を消します。人間の生死も大自然界の一つの営みですから、これに逆らうことは出来ません。人間に苦楽は交互にやってくると言います。どちらかというと苦の方が多いのではないかと思います。心身ともに元気な間は苦楽を強く感じますが、老いて行くということはその苦楽の度合いも薄れて行くと言うことです。これは、無理なく「死」を迎えるための準備なのであろうと思います。そして苦しみのない静かな平穏な死の世界へと、導かれていくことになるのでしょう。

    「老」も「死」もあるがままに受け入れるしか手はありません。どんなに「老」や「死」のことを考えないようにして生きてきても、いずれはこの苦しみはやってきます。これらの苦しみから逃れることは出来ないでしょうが、これらの苦しみに対処することは出来るような気がします。

    「老化」や「死」の苦しみを解消する一つの方法としては、逆にそのこと(現実)をまっすぐ受け入れて、これを『考えること』ではないかと思うのです。自分にとって「老化」とはどういうことか、自分にとって「死」とは何なのかを、折に触れじっくり考える。それを繰り返すことで、現在の自分の「生」に対する納得を積み重ねていくことができるような気がします。

    誰一人として「死」を経験することは出来ませんので、死んだ人の話を聞くことも出来ませんが、肉体的精神的に「死」を想像することは出来ます。「死」の苦しみとは「死」に対しる恐怖から来るのだろうと思います。その恐怖は「死」に対する自分の直観的想像から来ているものだろうと思います。「死」を受け入れそれを考えることで恐怖は去って行くように思います。また「死」を考えることで充実した「生」を考えるようになるのではないかと思います。深く思索し内省することで、考えが深まっていくのだろうと思います。考えたからと言って何も結論が出るわけでもないのですが、晩年において自分なりに(人生の何たるか)を掴み得るように思うのです。

    前にも書きましたが、死の間際に人間はしっかりと過去の人生を振り返るのだそうです。その時の死を前にした患者さんたちの後悔の言葉で、最も多かったのが『自分自身に忠実に生きれば良かった。』という述懐の言葉だと聞きました。なるほどという気がいたします。
     「一日一生」と言われます。日常は何も変わらないようにみえても、周囲の変化と共に自分自身も知らないうちに変化し新しくなっている。老化の中身も変化していきます。一日だって同じ日はない。だから、(一日が一生だ)と考える。 生きるのが(今日一日)と考えれば、「死」を迎えるまでの限られた時間を大切にしたい気持ちになります。
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