(038) 時にはストイックなひと時も良いものだ

    昔あるきっかけで、厳しい修行で知られる福井県の曹洞宗総本山「永平寺」の体験修行をする機会があった。1回につき3泊4日の修行で、朝3時起床から夜9時就寝まで、終日座禅の連続である。外界とは完全に隔離された状態で、もちろん新聞もテレビもラジオも何も無い。飲食は精進料理のみ。聞こえてくるのはひぐらしの鳴く声だけ。
    2日目あたりが最も苦しくこのまま続けられるかが心配であった。3日目になると苦しさを通り越し、精神が浄化されたような気分になり、とてもさわやかな気持ちになったことを覚えている。この非日常が忘れられず、1年おきに通算3回この体験修行へ行った。

    修行の際、このように感じたことを思い出す。「娑婆に居れば煩悩の渦に悩まされる日々を送らなければならない。ここでは外界と遮断された状態で生きて行くことができ、人間にとってはとても贅沢な生活ではないだろうか?」などと思った。しかし、これは仏法への感性の乏しい私のような者が、非日常を少しばかり体験しただけでの感想であり、これが生涯続いた場合は如何なるものか。仏に仕える身の生活と、一般人の生活とを比べること自体が不遜なのであろう。

    時にはこのようなストイックなひと時を持つことで、自分なりに少しは精神性が高められるような気がするのである。修行をしたからといって、これが精神にどの程度関与したかどうかは、しかとは自分では感得できないが、何からの響きがあったようなそんな気はする。曹洞宗の開祖「道元」の教える*只管打坐(しかんたざ)に強く興味をもったので、その後座禅専用の座布団を求めた。その頃京都に住んでいたので、すぐに買い求めることができた。今はネットでも求めることが出来るようだ。

    そして、自宅で何回か座禅を組んだこともあるが、寺院での座禅の時のような感応を得ることはむずかしく、最近ではまったく縁遠くなってしまった。これを機に、最寄りの禅宗寺院で参禅したいと今思っているところである。

    この修業は、私にとっては思い出に残る貴重な体験であった。
    また、巨大な樹林に佇む荘重な永平寺の伽藍とともに、7月とは言えひんやりとした空気の中に響いてくる、心地良いひぐらしの鳴き声が印象的だった。

    *只管打坐: 余念を交えず、ただひたすら座禅すること。「只管」はひたすら、ただ一筋に一つのことに専念すること。「打坐」は座ること、座禅をすること。

    http://www.mitene.or.jp/~katumin/eiheiji/sonota/taiken/taiken.htm
    〔永平寺参禅・体験修行案内〕


    Vesnianyi-06.jpg
    セルヒーイ・ヴァスィリキーウシクィイ (Sergiy Vasylkivskiy- Vesnianyi)
    (1854年~1917年)ウクライナの画家





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    ジャンル : 心と身体

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    有名な永平寺での3泊修行は、生きてるうちに是非とも体験してみたいですね。

    今だとコウロギの音だけの世界でしょうか。

    その後の行動や生活に変化があるものでしょうか。
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