【シニアの生活】=NO,26 「死」について

    地獄門

    仏教の世界に「四苦」という言葉があります。「生、老、病、死」の苦しみのことです。生きている時の苦しみ(煩悩)、老化の苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみ、のことを言います。誰でも平等に歳はとります。自分もシニア世代と言われる年齢になると、ある時「老化」という新たな苦しみを味わうことになるのでしょう。「老い」が始まると、まず体力の衰えが感じられるようになる。足腰が弱くなり目や耳が悪くなり、記憶力も薄れてくる。これまで全く抵抗なしに出来ていたようなことが出来なくなる。そして自分が退化していくことに対して、苦しみを感じるようになると。その後には「死」の苦しみがやってくる。

    今この世に生きている老若男女も100年も経てばこの世から姿を消します。人間の生死も大自然界の一つの営みですから、これに逆らうことは出来ません。人間に苦楽は交互にやってくると言います。どちらかというと苦の方が多いのではないかと思います。心身ともに元気な間は苦楽を強く感じますが、老いて行くということはその苦楽の度合いも薄れて行くと言うことです。これは、無理なく「死」を迎えるための準備なのであろうと思います。そして苦しみのない静かな平穏な死の世界へと、導かれていくことになるのでしょう。

    「老」も「死」もあるがままに受け入れるしか手はありません。どんなに「老」や「死」のことを考えないようにして生きてきても、いずれはこの苦しみはやってきます。これらの苦しみから逃れることは出来ないでしょうが、これらの苦しみに対処することは出来るような気がします。

    「老化」や「死」の苦しみを解消する一つの方法としては、逆にそのこと(現実)をまっすぐ受け入れて、これを『考えること』ではないかと思うのです。自分にとって「老化」とはどういうことか、自分にとって「死」とは何なのかを、折に触れじっくり考える。それを繰り返すことで、現在の自分の「生」に対する納得を積み重ねていくことができるような気がします。

    誰一人として「死」を経験することは出来ませんので、死んだ人の話を聞くことも出来ませんが、肉体的精神的に「死」を想像することは出来ます。「死」の苦しみとは「死」に対しる恐怖から来るのだろうと思います。その恐怖は「死」に対する自分の直観的想像から来ているものだろうと思います。「死」を受け入れそれを考えることで恐怖は去って行くように思います。また「死」を考えることで充実した「生」を考えるようになるのではないかと思います。深く思索し内省することで、考えが深まっていくのだろうと思います。考えたからと言って何も結論が出るわけでもないのですが、晩年において自分なりに(人生の何たるか)を掴み得るように思うのです。

    前にも書きましたが、死の間際に人間はしっかりと過去の人生を振り返るのだそうです。その時の死を前にした患者さんたちの後悔の言葉で、最も多かったのが『自分自身に忠実に生きれば良かった。』という述懐の言葉だと聞きました。なるほどという気がいたします。
     「一日一生」と言われます。日常は何も変わらないようにみえても、周囲の変化と共に自分自身も知らないうちに変化し新しくなっている。老化の中身も変化していきます。一日だって同じ日はない。だから、(一日が一生だ)と考える。 生きるのが(今日一日)と考えれば、「死」を迎えるまでの限られた時間を大切にしたい気持ちになります。

    【シニアの生活】=NO,25 仕事と幸福について

    書斎

    人は誰でも「幸せになりたい」「幸せでいたい」と考えています。では「幸せである」とはどういうことなのでしょうか? それぞれに考え方もあるでしょうが、先人多くの人たちがそれは「仕事」だと言っております。私もそう思います。仕事をしている最中は「幸せ」を感じることはほとんど無いのでしょうが、要は仕事に没頭していること自体が、とても「幸せ」と言うことになるのだろうと思います。そしてその結果として、一つの仕事が終わったときに達成感や充足感という「持続的な幸せ」感じることができるだろうと思います。

    もちろん「仕事」では無く「遊び」でも「幸せ」は感じられるでしょう。「遊び」の「幸せ」は、「仕事」とは逆に遊んでいるその最中が楽しくて幸せを感じるものです。「遊び」が終わればその余韻も消えると同時に「幸せ」の感情は薄くなります。時にはむなしささえ感じることもあるでしょう。それに比べ「仕事の幸せ」は、仕事が終わった後も将来にわたって希望をつなぐことができるので、静かで深い「幸せ」を感じられるのだと思います。また自分にとっても他人にとっても、何らかの(役に立っている)という意識が心の中にあるからだとも思います。

    ただ、かねがねやってみたいと強く思うことがあったけど、長い間仕事以外のことは何もできなかったような場合は、それが仕事ではなく趣味であっても真に没頭することが出来るのであれば、それはそれで十分に幸せを感じることは出来るでしょう。例えば、仕事を持っている間はなかなかこのような気持ちに浸ることはないでしょうが、一心に読書することに深く毎日の充実を感じるのであれば、それは自分の理想とする生活の一つと言うことであるでしょうから、人生後半の生涯を謳歌して生きることが出来るのだろうと思います。

    誰でも「たくさんお金があって遊んで暮らしたい」などと、本気ではなくてもちょっと位は思ったことがあるのではないでしょうか。現実に、遊んで暮らして幸せかどうかは、私には経験がないので分かりませんが、真の幸せを感じ取ることは出来ないように想像します。本来人間はそのように作られているのではないのでしょうか。

    しかし、仕事なら何でも良いというわけには行かないでしょう。自分が最も嫌いな仕事とか、自分にはまったく合わない仕事といったものは、幸せを感じるどころか苦しみを感じることになります。それはそれで別の仕事を考えなければならないことになるでしょう。「戯曲:どん底」で有名なロシアの作家ゴーリキーは『仕事が楽しみならば人生は極楽だ。苦しみならばそれは地獄だ。』と言っております。

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    ここでは一般的に「仕事と幸福」についての、先人たちの言葉をいくつか列記してみたいと思います。人それぞれに相通ずるものがあるのではないでしょうか。

    ○ 生涯の幸福な時は、全体的に見て仕事をしている時である。(ヒルティの幸福論)

    ○ 我を忘れて自分の仕事に完全に没頭することのできる働きびとは、最も幸福である。(ヒルティの幸福論)

    ○ 仕事は、人間の幸福の一つの大きな要素である。(ヒルティの幸福論)

    ○ いかなる職業でも自分が支配するかぎり愉快であり、服従するかぎり不愉快である。(アランの幸福論)

    ○ 仕事をおもしろくする主な要素は2つある。1つは技術を行使すること、もう1つは建設である。(アランの幸福論)

    ○ 目的の持続性ということは、幸福の最も本質的な成分の一つであるが、たいていの人びとの場合、これは主として仕事を通して得られる。(ラッセルの幸福論)

    ○ 楽しんでやる苦労は、苦痛を癒すものだ。(シェークスピア)

    ○ 仕事が楽しみならば人生は極楽だ。苦しみならばそれは地獄だ。(ゴーリキー:ロシアの作家)

    ○ 人間が幸福であるために避けることのできない条件は勤労である。(トルストイ)

    ○ もっとも平安な、そして純粋な喜びの一つは、労働をした後の休息である。(カント:ドイツの哲学者)

    ○ 一生の仕事を見出した人には、ほかの幸福を探す必要はない。(カーライル:イギリスの歴史家)

    ○ 自分の仕事を愛し、その日の仕事を完全に成し遂げて満足した。こんな軽い気持ちで晩餐の卓に帰れる人が、世の中で最も幸福な人である。(ワナメーカー:米国の実業家)


    テーマ : 楽しく生きる
    ジャンル : ライフ

    【シニアの生活】=NO,24 闘争心を自分に向ける

    新宿ビル街

    人は生まれたときから、その良し悪しは別として「闘争心」が植え付けられるように育っていきます。そして闘争心が見事に開花する人とそうで無い人がいます。闘争心は動物本能の一つとして備わっているもので、言うまでもなくその強さ弱さは本質的には生まれつきのものだと言えます。闘争心の是非については、人それぞれに意見があるでしょう。闘争心が強ければ幸せになれるというものではありません。逆に強すぎて不幸になることだってあるでしょう。ただ闘争心が強い方が、自分の意思を貫く可能性が高いと言うことは言えるでしょう。

    闘争心は育った環境により大きく変わってきます。貧乏な中に育ったためにハングリー精神が旺盛になり、それがもとで将来大成功を収めた話は随所にあります。いずれにしろ、人間は人との関係の中でしか生きられませんので、人より上に行きたいと(自分はそんな気持ちはないと言う人でも)潜在意識としては皆そう思っております。

    闘争心を燃やす相手は、ほとんどの場合自分の周辺にいる近しい人です。例えば学校で成績の競争をする相手でも、最初から自分の手が届かない相手とは競争しません。すでに諦めています。仕事の上でも同じようなことが言えるでしょう。たまたま入って会社でその周囲を見渡しながら無意識のうちに競争を始めます。そこで競争に打ち勝つことは喜びですので、それを一つの生きがいとして暮らしていくことになります。

    しかし、このような闘争心は生涯にわたって永遠と続くものではありません。まず仕事上では現役を退くとそのような相手も消滅します。自分の性分にふさわしくない闘争心を燃やしすぎて、自分の人格まで変えてします(変ってします?)人だっています。リタイア後現役中にあれほど燃やしていた闘争心が、むなしく感じられて索漠とした気持ちになる人もいることでしょう。長い人生の一角で闘争心を燃やせてきたことはそれなりの意味があると思いますが、それが全てではないでしょう。また、リタイア後一定の束縛から離れると闘争心は弱くなるものです。

    では、このように考えてみてはどうでしょうか。現役を離れれば大なり小なり皆孤独になります。そこで持って生まれたあるいは後世に培われてきた闘争心を、自分自身に向けてみてはどうでしょうか。人と戦う気持ちだけが闘争心ではないと思います。リタイア後は、如何に生きがいを持って暮らしていくことが出来るかが勝負です。

    自分との戦いにもいろいろあります。例えば遠い夢にしか考えていなかったことを、新しい目標に定めて強い意志で取り組んで行く。また自分自身の理想とする人間像を描き、自己の内面の完成に向かって取り組んで行く。いろいろな方法が考えられるのではないでしょう。
    人の一生は一度です。真に自分が望んでいる自分の形を深く捉えて生きて行くことが、この世に生を受けた喜びにつながるのではないかと思います。

    テーマ : ライフ
    ジャンル : ライフ

    【シニアの生活】=NO,23 出来れば自分のライフワークを持ちたい

    シスレー

    ライフ‐ワーク【lifework】とは『一生をかけてする仕事。畢生 (ひっせい) の事業。また、個人の記念碑的な業績とみなされるような作品や研究。』(国語辞典:大辞林より)とあります。要するに、ライフワークとは自分が夢中になって生涯取り組んでいくことが出来るようなもの、と言うことになります。ライフワークを持つと言うことは、生涯生きがいを持って生きることが出来ることですから、人生にとって大変幸せなことと言えるでしょう。

    ライフワークという言葉は、しばしば作家や芸術家、建築家、学者などの仕事に対して使われます。しかし、この言葉の意味は「人が一生をかける仕事」ということですから、そうした特定の人たちだけのものではありません。
    中には、今の仕事が自分のライフワークだと言う人もいるでしょう。しかし、一般の生活人にとっては天職を言われるような仕事に就いている人は「まれ」でしょうし、特にサラリーマンにとっては定年退職すればその仕事から離れることになり、その仕事をライフワークとしてそのまま続けて行くことは出来ません。

    定年後は趣味に生きると言った話はよく聞くことですが、単なる趣味がライフワークと言うわけにはいきません。しかし趣味が昇華して一つの事業として社会にも影響をあたえる様になれば、それはライフワークと言えるのではないでしょうか。リタイア後にライフワークを考えてみても、そうそう簡単に見つかるものではないでしょう。自分が年齢的にシニア年代に入ったと感じる様になったら、現役時代のうちから生涯のライフワークにつて考え始めてみてはどうでしょうか。

    自分の子供時代からのことをふり返ってみて「本当は自分は何をやりたかったのだろう?」とか、また「自分はこれまで何のために生きてきたのか? 何をするために生きているのか?」などと自分に問いかけてみます。潜在意識として眠っていたものが、呼び覚まされることもあるかもしれません。

    いずれにしろ、ライフワークとして取り組めそうなものを探し出し、少しずつ始めてみるしかありません。何事もだた思っているだけのものと、実際に実行してみるのとでは大きな違いがあります。好きなことだからと言っても、それを実行に移してライフワークとして成長させるためにはそれなりの努力が必要です。

    努力しそれを継続させるためには、その作業を習慣化することです。毎日、一定の時刻一定の場所に身を置いたとき、自然とその作業に気持ちが入り込んで行くように習慣化することです。何事もそうですが、急がずに毎日毎日少しずつ中断せずに取り組むことが、ことを成就するための要領だと思います。

    仕事となれば、どんな仕事でもそうそう楽なものはありません。それでも、例えばサラリーマンが毎日毎日一定の時刻にそれほど抵抗なく会社へ向かうのは、それが習慣化しているからだろうと思います。ライフ‐ワーク【lifework】のワークは仕事です。先にも書きましたが趣味ではありません。

    昔から、物事の成功要件として「運・鈍・根」と言う言葉があります。成功するには、運のよさと根気と鈍感なくらいのねばり強さの三つが必要だということです。最近はちょっと変な言葉にも感じられますが、「鈍感力」などと言った言葉も使われております。要するに、今でもこのフレーズ「運・鈍・根」は生きていると言うことでしょう。

    どんなに好きな仕事でも、それがライフワークと言えるほどまでになるには、それ相当の努力や苦労もあろうかと思います。ライフワークとして何事かに取り組み始める際にも、それなりの覚悟を持って臨むことが必要ではないかと思うのです。

    【シニアの生活】=NO,22 シニアのコミュニケーション力

    シニアのコミュニケーション力

    コミュニケーション(communication)よく話題になる言葉です。
    広辞苑によれば『社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達』となっております。人間が互いに(言語・文字・身振りなどを媒介として)意思や感情、思考を伝達し合うことであります。

    コミュニケーションは組織が上手く運営されていくための基礎であり要(かなめ)であります。私がキャリアコンサルタントとして就職支援の講座を担当しておりました時、(旧)雇用・能力開発機構から発行された指導書に、コミュニケーションの基本について次のような一文がありました。『あなたはあなたであっていい、私も私のままであっていい。』(相手の話を自分の価値観で聴くのではなく相手の気持ちや考えをそのまま受け入れる”聴き方”、そして当方は我慢するのでもなく言いすぎて相手を抑制するのでもない”話し方”)コミュニケーションについての考え方として私も同感です。

    コミュニケーションを上手に取るということは大変難しいことです。現役時代は必然的に組織の中で上手くコミュニケーションを取ることが要求されますので、その組織の性格に合ったコミュニケーションの取り方を次第に身につけるようになります。

    組織の性格もまちまちです。トップを含めた組織のリーダーたちの考え方や行動や知性などが組織の性格に大きく左右します。そして、そこで働く者の姿勢や行動は、組織の性格に規定されることとなります。したがって、人は無意識のうちに組織の性格に合わせた考え方や行動を取ることとなります。いな、取らざるを得なくなります。組織の中で働く者のコミュニケーションを土台にして組織は動いて行きますので、その組織に適合したコミュニケーションが次第に醸成されていくこととなります。(なお、顧客とのコミュニケーションは営業ですから、組織の性格がそのまま表に出るものではありません。)

    組織の規模や業績とは関係なしに、社会に範をなすような立派な組織もあれば、逆にブラック企業と呼ばれるような組織もあります。よく「会社の常識・社会の非常識」「社会の常識・会社の非常識」などと言った、皮肉交じりの話を聞くことがあります。一般社会とズレたその会社でしか通用しない常識が出来あがり、その常識をもとにしたコミュニケーションが行われることになります。
    長く一つの組織に所属していると、いつの間にかその組織独特の感覚が染みついてきてきます。一般的に人は仕事中心に動いておりますので、その組織の中での人間関係がその人のコミュニケーションの取り方を作り上げて行くことになります。

    定年退職で現役を退き無職になった場合、多くの人は孤独を味わうことになります。ボランティアでも始めようかと思い立ち参加してみます。しかし組織に長く身を置いていた人の多くが、なかなかうまくコミュニケーションを取ることが出来ません。一般世間との感覚の「ズレ」が生じてしまっていることが大きな原因と考えられます。さらに、定年後 他の仕事に就いた様な場合は、過去の自分の役職に基づくコミュニケーションのパターンが左右して、上手く人間関係を作ることが難しくなる場合があります。勿論努力すればそれなりに解消されるでしょうが、思ってもいなかった苦労を味わうことにもなります。

    現役中はリタイア後の自分の姿がなかなか見えてこないものです。しかし必ずその時はやってきます。定年後何をやるにしても、現役時代からの移行をなるべくスムーズに行うためには、現役のときから仕事とは全く違った組織の一員として、広く社外の人たちとのコミュニケーションを取ることを心がける必要があると思います。このような行動を取ることにより視野も広くなり、逆に現在の仕事にも良い影響を及ぼすのではないでしょうか。


    【シニアの生活】=NO,21 悩むことは生きている証拠

    考える人

    人間に悩みはつきものです。人は一生のうちにさまざまの悩みを経験します。何ごとか行動を起こそうとするときの悩みなどと言った、前向きの悩みをありますが、一般的に「悩み」と言った場合は苦しみの悩みのことを言います。浅い悩み深い悩み、永遠と続く悩み、生きていることが辛くなるほどの悩みなど、その中身も人によってさまざまです。又年齢によっても悩みの有り様は違うでしょう。

    特にシニア層の悩みとしては次のようなものが考えられるでしょう。
    (人間関係、仕事、家族、お金、年金、健康、医療、相続、生き方、住居、介護、将来のこと)などなど、程度の差こそあれ一つや二つの悩みは誰でも持っているのではないでしょうか。もろもろの悩みの種があるのでしょうが、話によれば大きく次の4種類に分類することが出来るとのことです。(人間関係の悩み、 金銭的な悩み、 健康上の悩み、将来に関する悩み)人間はこれらと格闘しながら生きていくわけですが、一つの悩みが去ったら次の悩みが現れる「悩みははてなし」とも言えるものです。

    古今東西、人の心から悩みを排斥することは不可能です。前述の悩み事に一つずつ対処して解決する強い意志を持つことも大切でありますが、中にはどうしようもない悩みもあります。どうしようもない悩みであれば、その悩みを頭から甘受する方向へ一歩進めてみることも、また必要ではないかと思うのです。

    悩みも大きく分けて、病気など肉体的悩みと精神的悩みとに分けることが出来ると思います。肉体的病気の悩みなどは、治療による原因療法や痛みを和らげるための対症療法などに頼ることになるのでしょうが、精神的な悩みはそんなわけには行きません。せいぜい悩み事を人に話して、気持ちを楽にする程度のことでしょう。

    精神的に深い悩みであればあるほど、悩み抜く覚悟が必要のように思われます。これでもかこれでもかと悩み抜き、もう限界と言うところまでくると、(悩みがなくなるわけではありませんが)一種の吹っ切れた感情が呼び覚まされ、開き直りとも言える心境に到達でき、気持ち自体は少し楽なるように思われます。

    また「言うは易し」と思われるかもしれませんが、次のように考えることも出来るのではないでしょうか。
    『折角この世に生を受けた人生、人には経験することの出来ないこのような苦しみを経験できることに、自己の人生の意味を汲み取る。』こう考えることで、「少しは苦しみが軽減できるかもしれない、そして苦しみに耐える力を増してくれるかもしれない。」そんな気がします。

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    旧約聖書に「ヨブ記」と言う1章節があります。知恵文学の最大傑作と言われるもので、『義人(正しい人)の苦難』について書かれています。つまり 「何も悪いことをしていないのに苦しまなければならない!」 因果応報では整理できない、どうしようもない人生の不条理の苦しみについて述べられたものです。

    この事は宗派には関係なく、永遠に人類に襲ってくるもので、苦しみぬいた最後にはその苦しみを甘受するしか方法はないのでは無いかと思います。


    【シニアの生活】=NO,20 旅行とかウォーキングとか読書とか、何かをしなければならないわけではない。


    猫の昼寝

    よく、「定年後には何か趣味を持って充実した毎日を送るようにしましょう。」などと言った話を聞くことがありますが、何だか空虚な言葉に聞こえてきます。果たして如何ほどの人が定年後に、趣味で生きがいを感じているでしょうか。そのような人は、ほんの一部の人ではないでしょうか。

    毎日忙しい仕事をしているとき、合間を見つけて趣味に没頭するという人は、それなりに多いかもしれません。しかしそのような人でも完全に仕事から離れて「さあ、これから毎日趣味に没頭できるんだ!」と喜んでみても、そうは行かないように思います。仕事の合間にやる趣味だからこそ生き生きと没頭できるのであって、毎日朝から晩まで趣味に生きがいを感じることのできる人は、まれではないのでしょうか。

    現役時代から強い趣味を持っているのであれば、その趣味を定年後にボランティアや仕事として活かせるように、前もって入念な計画を立ててみることを考えてはどうでしょうか。収入面ではわずかであっても、趣味が仕事の一角を占めることによって、真に趣味を全うすることが出来るように思います。どんな仕事でも、仕事であれば必ず他に対して責任が生じます。わずかでも仕事とつながることによって、その趣味が世間との強いつながりを持つことになるからです。

    でも、一般の人は仕事と関連づけることが出来るほどの趣味など、持っていない人が大半でしょう。では定年後に趣味も仕事もない人はどのように過ごしたらよいのでしょうか。

    人間ははっきりした目的がなくても、無意識の内に体や心を動かしながら生きております。言わば漫然と生きているわけです。漫然と生きるのが嫌になったら、昼間からお酒を飲んでテレビを見て昼寝をして、と言った生活に陥っていきます。そして精神も体も弱っていき、自己嫌悪の日々を送ることになるでしょう。

    特別何もすることなく、ただ漫然と生きることはそんなに良くないことでしょうか。仕事をしなくても普通に生きていける。特段の心配事もない。であれば、何もせずに漫然と生きることができると言うことは、幸せなことではないのでしょうか。良い身分と言うことではないでしょうか。「何もしない幸せをじっくり味わいながら、漫然と生活することに生きがいを感じる。」このように考えても良いのではないでしょうか。

    しかし、そのようなのんびりした暮らし方であっても、その中に「幸せを噛みしめる」と言った気持ちの努力は、常に持っておらなければならないと思います。「小人閑居して不善を為す」と言います。漫然と暮らすことは怠惰ではありません。
    しかし、漫然とした暮らしでもうっかりすると昼間からお酒を飲んだりして、すぐに余計なことをしてしまい、後で悔やまなければならなくなります。やはり何もしない生活にも、きちんとした意思と努力が必要なのです。

    私もその内そのような生活を送ることになったら、「小人閑居して不善を為す」の格言を噛みしめながら生きていきたいと思っております。

    【シニアの生活】=NO,18  「老い」 は誰にでもやってくる

    cafe.jpg

    何歳から何歳までをシニア年代と言うかはっきりした定義はありませんので、人それぞれの感覚で捉えて結構かと思います。あるいは感覚的に早くから老いの気持ちを持っている人もいるでしょうから、年齢だけで捉えることはできないと考える人もいるでしょう。いずれにしろ、生きとし生けるものは皆公平に老いを迎えることに変わりはありません。

    お釈迦様は、人には(生・老・病・死)の四苦があると言われました。もともと人間はだれでも「生きる」と言うことの苦しみを抱えております。また幸いにして「病の苦しみ」を経験しなくとも、老いが進むと「老いの苦しみ」と言うものがやってくると言うことです。その後には「死の苦しみ」がやってくる。

    定年と言われる年齢を過ぎる頃から、人は皆何らかの体力の衰えを感じてくるものと思います。体力の衰えを感じてくると、人は「老い」を意識するようになる。「老い」が進んでくると、本人に対する周囲の見方も変わってくるが、自分自身も己に対する見方が変わってくる。思い切ったこともできなくなる。昔と同じような夢や希望を持つことができなくなる。しかしこれらの感情は、自分が「老い」を迎えて始めて感じるものであり、それまでは自分の「老いの形」はなかなか見えてこないのではないかと思います。

    昔のように夢や希望を持つことができないと感じると、現役時代に仕事などで塗炭の苦しみを味わったような人の場合でも、昔を懐かしむ気持ちにもなる。そして、やがてやってくる「死」をうっすらと意識するようになり、「生」の限界を感じるようになる。 これが「老い」の苦しみではないかと、私なりに思うのです。
    「老い」の苦しみから逃れたく、人によっては「老い」から眼をそらすために昔と同じような言動を取ろうとする。そうすると、ますます深みにはまり「老い」の苦しみは倍加する。

    「老い」を感じるようになったら、今一度自己の一生を振り返り、自分が今置かれている位置を直視して、「自然の摂理に身を任せる」ことが肝心ではないのだろうかと思われます。その中で、過去には感じることのできなかった自己を感じとり、新たな自己完成を目指していくことが、意味ある「老い」を生きることではないかと思います。昔とは違った自分を生きることが、「老い」と言われる期間を有意義に生きることができるように思います。
    また現役時代、意に反して自己の性分とは違う生き方を強いられたとの思いがある人は、自分の本性を取り戻すことが出来る時期を迎えることになるのではないでしょうか。

    では具体的に何をやるかと言っても、何も特別なことが世の中にあるわけではありません。誰でも思い通りの人生を歩んできているわけでは無いので、やり残したこともいろいろあろうかと思います。好きな仕事に就くことが出来ればそれが一番いいのでしょうが、なかなかそれは思うようには行かない。でも誰にでも、趣味も含めて昔やりたかったが出来なかったことの一つや二つはあるでしょう。身近なことでも、あるいは壮大な夢でも、その実現に向かって誰にも邪魔されること無く、一歩一歩進めながら新しい自分を生きることを考えなければならないのではないでしょうか。

    人間は明日のことは分かりません。これは若者も皆同じです。ようするに明日をも分からない日々を暮らすのに「老い」を嘆いていても仕方の無いことで。好奇心に蓋をすること無く「自らモチベーションを高めながら、生きがいを感じることの出来る自分を追求する」ことが、この「老い」と言われる時期に課せられた役割のような気がします。仮に「老い」の期間が10年間あったとして(現実にはもっと長いでしょうが)一つのことに10年間も取り組めば誰でもその道のプロになるでしょう。出来ることならば、いくつになっても夢に向かって歩み続けたいものです。

    テーマ : 暮らし・生活
    ジャンル : ライフ

    【シニアの生活】=NO,17  音楽とシニア生活

    音楽とシニア生活


    音楽は古代から人間の生活に深く関わっております。音楽はその日一日をいい気分にしてくれたり、ちょっとした気分転換をさせてくれたりします。またテンションを上げる効果があるなどさまざまです。
    若いときには音楽を聴くことに気持ちが向くことも多いかと思いますが、シニアと言われる年齢になってくると仕事や家庭のこと等々世事に気をとられて、音楽を聴くなどと言ったことから徐々に離れていくように思われます。

    音楽は人間の精神の根源に作用するものと言われます。積極的に音楽を生活に取り入れ日常生活を活性化させるために、今一度「音楽と生活」について考えてみてはどうでしょうか。音楽を私たちの生活に取り入れることで、一段と生活に潤いを持たせることをあらためて考えてみたいと思います。


    =音楽の主な効用として、一般的に下記のような作用があると言われております。=

    ・癒やしの効果(ヒーリングミュージック)
    スローテンポなクラシック系の声楽の入っていない音楽は、精神を静めるのに良いと言われます。
    ヒーリング・ミュージックとは心理的な安心感を与えたり、気持ちをリラックスさせるために、自然界の音を取り入れたりして作られた音楽です。聞いているうちにリラックスして(アルファ波)が出ると言われています。
    アルファ波とは心身ともに安らいでいる時の脳波で、日常生活を送っている時の脳波は(ベータ波)と言われます。脳波がすべて(アルファ波)だと脳が活動してなくて意識がない状態となり、すべて(ベータ波)だと脳に疲れがたまることになると言われております。

    ・気分を高揚させる効果
    この効果は最も原始的な音楽の効用と言われており、テンポの速いリズムと大音量の効果で非日常の世界に人をいざなってくれる。ストレス解消の効果がある。また(コンサート会場で熱狂的なファンが一体となって興奮するなど)集団の感情を一つにしてしまう集団催眠とも言える効果を持つと言われます。

    ・入眠を誘う効果
    子守歌のような単調なリズムの曲は眠気を誘う効果がある。また眠れないときには、好きな落語を繰り返し聞くと言う人もいます。

    ・落ち込んだ気持ちを回復させる効果
    若い頃に夢中になった曲は、後々まで心の奥深く潜んでいると言われます。これらの音楽を聴くと(遠く過ぎ去った日々の感情が呼び覚まされ、一種タイムスリップした状態になり)落ち込んだ気持ちが回復すると言うことでしょう。また強く落ち込んでいるときに明るく元気のいい曲は、逆にめいってしまうものです。気分と同質の音楽が共感を呼び気持ちを和ませてくれるようです。


    ・集中力を高める効果
    私はよく バッハ や ビバルディ などバロック調の曲を聞きながら本を読むことが多いのです。そうすると適度に脳を刺激し、気持ちを落ち着かせて読書に集中できるように思います。そして持続力も高めてくれると思います。BGMの効果と同質のものなのでしょう。
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    私はよくパソコンで音楽を聴きながらPC操作をします。
    TBSが運営するインターネットラジオのクラシック音楽専門のラジオ局OTTAVA(オッターヴァ)<http://ottava.jp/>を聴いたり、Windows 付属の 「Media Player」 を利用して、インターネットラジオで世界中の音楽を聴いております。<http://bit.ly/UVcJ6F>

    【シニアの生活】=NO,16  自分にまつわる情報を遮断しない

    コウケヤリ

    人は日常茶飯事何らかの情報に囲まれながら生活しています。情報の洪水の中で暮らしていると言っても過言では無いでしょう。人生を長く経験してくると、自分の心の対処方法が器用になってきます。聞きたくない見たくない情報は器用に心から遮断することができるようになります。

    情報を自分の身に受け入れると言うことは、それにより嫌な感情をも呼び覚まされたり、過去に整理したつもりのことまで、新たにまた考える始めなければならないなどと言ったことも生じます。考えることはそれなりの労力を必要とし多少の苦痛も伴うでしょうし、場合によっては苦しみをも呼び寄せることさえあります。

    仕事から完全に離れ歳をとるにしたがって、多くの人が自分にとって嫌な情報は無意識のうちに排除していくようにも見受けられます。老化現象の一つとして(人の話を聞かない、頑固になる)などと言ったことはよく言われますが、(嫌なことは耳に入らないように)と言った訓練もできてくるようです。無意識のうちに心に鎧を着せてしまっているのではないでしょうか。

    長い間生きてきて十分苦労もしてきたのだから、余計な苦労はしたくない、余計なことは考えたくない、と言うのも人情でしょう。高齢者になればなるほどこの傾向は強くなるのでしょう。そうなると「歳だから」と理屈をつけて、すべての情報を遠ざけようとします。これも怠惰の一つではないかと思うのです。歳をとったら怠惰であっていいという理由はどこにも無く、また自分にとって嫌な情報は避けながら生きて行こうと思っても、それが幸せな人生を送ることにつながるようには思えません。

    精神の怠惰は精神の老化を早めるでしょうし、精神の老化は肉体の老化につながるでしょう。最も精神を活性化させるものは仕事なのでしょう。しかし仕事をしたくてもそうは簡単には行かないでしょうから、仕事に代わるものとして、聞き飽きたことかもしれませんが(読書・音楽・絵・自然とのふれあい・人との交流)などに積極的に取り組み、自己の精神を枯らさないようにすることがどうしても必要に思われます。

    人は皆「老」に向かって歩んでおります。「老化」というのは人間にとっての苦しみの一つです。情報を遮断し世捨て人のように生きることも一つの生き方かもしれませんが、それは逆に「老化」という苦痛を強めることになるような気がします。
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